私たちは価値観に縛られている

キャリア

はじめに

「人生を変えたい」

このように悩んでいる人はどれだけいるでしょうか。

「今よりもっと良い生活を送りたい。」

人生を変えたいとまではいかなくとも、こう考える人は多いのではないでしょうか。

私自身、過去にこうした価値観を持ち、できない自分に引け目を感じていました。

SNSや広告媒体を通して良い暮らしの情報が視界に入り続けてしまう環境で、常に自分と誰かの暮らしとを比較しては「できない自分」を強く感じてしまっていたのです。

また情報量が多ければ多いほど信憑性が増していき、大多数の正当な意見であるように感じてしまいました。

一度自分を悲観的に見てしまったことで、このような考え方から抜け出せなくなってしまったのです。

ですがある一冊の本が、私の助けとなりました。

この「世逃げのすすめ」には、自分の価値観がどう形成されるのか、どう向き合うべきか記されています。

私と同じく、

・自分と他人を比べ引け目を感じてしまう
・できない自分に落ち込んでしまっている

そんな皆さんの助けになればと思いますので、シェアしていきます。

人間は商品として見られている

今より良い暮らしをしたかった私は、人生を変えたいと悩んでいました。ですがある時ふと、疑問を持ちました。

良い暮らしとは一体何なんだろう。

私は、自分が考え得る「良い暮らし」についてリストアップしてみました。そして、あらかた出したところであることに気付きます。「どれも経験したことがなかった」のです。

・高級住宅街に住む
・高級車に乗る
・美味しいものを好きなだけ食べる
・世界各国へ旅行する

皆さんも、「経験のない暮らしに憧れたこと」ありませんか?
しかしここで問題なのは、その対象ではありません。

上記の豊かさはおそらく、良い暮らしの一例でしょう。ですが問題は「知らないものを良いと信じ込んでいる」という事実です。

どうしてそう考えてしまったのでしょうか。

本書では、人間の価値観についてこのように書かれています。

現代日本社会においては、人間はすべて商品価値で測られるようになりました。(中略)つまり、世間というものは、人間を商品と見なし、商品価値でもって人間を測る。そういう仕組みになっているのです。

人間を商品と見なすならば、売れるように自分を形成する必要があります。なぜなら、社会のニーズに適合すると、商品価値が増大するからです。

つまり人間は、商品価値を高めるために自分の意見ではなく、世間が良いとする価値観に自分を合わせているのです。

この例に習えば、私は上記の豊かさを手に入れた人々の商品価値が高いと感じているのです。私が経験のない暮らしに憧れる理由はまさにこれでした。

世間が良いとしている暮らしを、「知りもせずに良い価値観として取り入れてしまった」のです。

しかし、なぜ良い価値観に対して引け目を感じてしまうのでしょうか。

他人の価値観に縛られている

例えばAとBと二つの車を比べるならば、価格や走行性能など、数値で比較できます。

では車に乗っている「人物」はどうでしょう。

「高級車に乗る人は商品価値があり、乗れない人は無い。」

仮にこの様な意見があるとすれば「そんなことはない」という方も、「その通りだ」という方もいるでしょう。

この意見の相違について、本書では次のように書かれています。

世の中の物差しはご都合主義なんです。(中略)また、わたしたちは、自分の欠点には寛容で、他人の欠点には厳しいのです。

本書の物差しとは、価値観を指しています。人々は自分の都合に合わせて価値観を取捨選択しているのです。

だからこそ、自分と食い違う意見には反論したり排除したりするのです。それは自身の価値観を守るためでもあるでしょう。

つまり私たちは世間の価値観から、都合の良いものを「善」とし、そうでないものを「悪」として上下関係を設けて選んでいると言えます。

良い暮らしに憧れるだけでなく引け目を感じる理由は、自身が良いとする価値観に対して自分は下のレベルにいる、つまり、自分で選び出した価値観の上下の下側に、わざわざ自分を組み込んでしまっていたのです。

よく考えれば確かにその通りです。良い暮らしも悪い暮らしも、あくまで個人の主観であるはずなのに、「世間的にそう言われている」となると途端に客観性が生まれます。

自分から下に入ったはずなのに、何か被害者意識のようなものを感じているのです。

また、本書では次のようにも書かれています。

世間には実体が無い。実体が無いのに、われわれがそれを気にするから、世間はでんとした存在になり、われわれはそれに縛られるのです。その意味では、世間は幽霊のようなものです。

これらをまとめると、全ては「無」であると言えます。

価値観と付随する感情も無から生まれるのですから、考える必要などありません。私たちが縛られている価値観の主体は実体の無い世間です。

幽霊の存在を感じるかの如く、そこに価値があると勘違いしてしまうのです。最初から存在しないものに優劣はなく、他の価値観に対して悲観的になる必要などないのです。

ですが社会に生きる私たちにとって、世間の目から逃れることは容易ではありません。

果たして、この実体のない存在とどう向き合うべきなのでしょうか。

「世逃げ」のすすめ

逃げる」という言葉を悪く考える方も多いでしょう。

ですが前述の通り、世間の目には実体がありません。それなのに、私たちを縛り付けるのです。

それならばもう、逃げるほかありません。

社会に出れば、世間の目の届かないところはありません。そこで、逃げるための場所を自分の中に作りましょう。つまり思考を変えるのです。

まずは、他人の価値観を受け入れることから始めます。なぜ他人なのかというと、世間の声は他人の声であるからです。

他人の価値観に上下を付けていては、自分の価値観にもそのような観点を持ってしまいます。他人の意見を否定せず受け入れれば、世間の声を気にせずいられるのです。

本書では次のように書かれています。

正解は一つではありません。さまざまな正解があります。いや、もっと大事なことは、――正解なんてない――という考え方です。人生の問題には、「正解」なんてないのです。(中略)ということは、「どちらでもいい」のです。

上下関係を付けたり否定したくなったりするのは、正解を求めるからです。

「これが私の正しい意見だ。」

こんな考えがよぎったら、どちらでもいいという言葉を思い出しましょう。

さいごに

私はこの書籍を通して、人生の時間について考えました。

自分をわざわざ落ち込ませてしまう価値観の作られ方について知ると、悩んで止まっていた時間がもったいなく感じます。

時間は有限です。だからこそ、世間の目に惑わされずに行動し続けなければいけません。

正解などない、どちらでもいい。

この言葉は多様性を表しています。
全ての価値観を受け入れられるならば、人生の視野はそれだけ多くの価値観によって広がります。

「どちらでもいい」という言葉を、行動力の源として大切にしていきたいです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆さんもぜひ、価値観から「逃げて」みましょう。

yuya

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物流業で働きながらライター活動をしています。人生をより良く過ごすためのお役立ち情報などを共有しています。

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