見知らぬ人に「300円をくれ」と言われた。あなたはどう感じる?

はじめに
ある日、夜道を歩いているときに知らないおじいちゃんから「300円くれないか」と言わたら、あなたならどう感じますか?
きっと多くの人が不審に思って、何をするでもなくその場を立ち去ると思います。
私も正直怪しさを感じましたが、知らない人に「お金を下さい」と言うおじいちゃんの行為に価値を感じ、300円を渡すことにしました。
どんな出来事だったのか、なぜ渡そうと考えたのかをお伝えします。
出会いから別れまで
~某日~
22:30頃に夜道を歩いていたら、反対から歩いているおじいちゃんと目が合い「こんばんは」と言われました。
こんばんは、と返しその場を去ろうとすると「高校生?社会人?」と聞かれたので
社会人です、と答えました。そうすると
「お金がなくてご飯が食べられないんだけど、300円くれないか?」
と言われ正直、え!?っと思いました。
本当に困っている可能性もあるけど、、
・服装は小綺麗で、痩せてこそいるが肌艶はいいので果たして本当に困っているのか
・近くにパチンコ屋があったので負けてお金に困っているのか
・断ることが苦手な性格だと思われたか
・300円ぐらいだったら渡してもいいか
などと考えつつ300円を渡しました。
何か見せ物を見て投げ銭をしたような感覚でしたが、もし騙されたとしても面白い経験だし、お金を渡したこと自体は後悔していません。
お金を渡すと「どうもありがとうね」と言われたので、
お気をつけて、と言い別れようとすると
「千円札はないよね?」と言われたので、突っ込んできたなと思いながら、
ないです、と答えました。
そうすると、何事もなかったかのように「わかった」「どうもね〜」と言われ手を振ってその場を去っていきました。
一体どんな心境なんだろうと思いながら、手を振り返し自分もその場を後にました。
千円渡してもよかったかな?たぶん騙されたのかな?と思いながら帰路につきました。
価値があるものに対してお金を払う必要性
300円を渡したことで、自分ができないこと、面白さを感じたことに対してお金を払う必要性を学びました。
社会は自分ができないことを代わりにやってもらうことで、お金が循環しています。
私は料理をしないし、得意ではありません。
牛丼ひとつにしても、作ってもらえるから私は食べられるのです。
自分で作ることはせず、作ってくれる人にお金を払うのです。
レジャー施設や映画や書籍など、様々な物事に対して、価値があるのでお金を払います。
そうしてお金が循環し、社会は成り立ちます。
しかし、何に価値を感じるかは人それぞれです。
自分がこれは良い!面白い!
と思ったものは、その価値のあるものが継続して存在できるように、お金を払う必要があるのです。
価値を受け取る側から与える側へ
価値に対してお金を払うときに重要なことは、価値を受け取る側だけでなく、価値を与える側も同じぐらい重要という点です。
自分もまた、価値を与えることでお金を得ることができます。
では、価値を提供したいと思うが、何をすればいいのだろう?と思ったら
・人が何に困っているかを知る
・自分に何ができるか考える
・何もなければ新しい経験をする
生活に必要なことからエンタメなどの娯楽まで、自分は何を提供できるかを知る必要があります。
もし、今できることがないのなら、提供できる価値の幅を広げるために新しいことを始めることも必要になります。
あなたが誰かを思って価値の提供を続けることで、それは他の人から見ても価値を持つようになり、あなたの与える価値はお金を払ってでもしてもらいたいと思われるようになります。
おわりに
おじいちゃんが知らない人に「お金を下さい」と言える行動は、私にはできない行動です。
だからこそ、自分にとって面白い行動をしたおじいちゃんに価値を感じ、お金を渡すことにしたのです。
この経験から私は価値を与える大切さを学びました。
反対に自分は何を与えることができるのだろう?と考えると、何も思いつかない人も居るかもしれません。
でも、大丈夫です。
あなたは何に価値があるか、それを知る経験をしていないだけなのです。
今回の私のように、お金を払って新しい体験、新しい価値を感じることを積極的に行っていきましょう。
そうすることで、今までの自分自身の価値観を更新し、何が人に価値を与える行動なのかを知り、行動の幅が広がっていきます。
新しいことを経験していきましょう!
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