新一万円札の顔 渋沢栄一を知っているか。

勉強

天才なら夢を持つことに迷わない。
凡人は流行や周り意見に流されて
自分ができもしないことへついうっかり手を出して、
「夢が叶わない」などという。
これは本当に夢をもったとは言わない。
これでは最後までやり遂げられないのも無理はない。

この言葉は渋沢栄一74歳の著書
論語と算盤」より現代語訳しています。

あなたは、
渋沢栄一を知っていますか?

渋沢栄一は1840(天保11)年から1931(昭和6)年の激動の幕末を生きた男です。

2024年より福沢諭吉に代わり日本の一万円札に起用されます。

それに伴い来年2021年にはNHK大河ドラマ
青天を衝け」も、放送が決定しており今見直すべき人物です。

今回の記事では、渋沢栄一の生涯を振り返ることにより、今私たち若者に求められる人物像と必要な行動力についてご紹介できればと思います。

◆目次◆
・今渋沢栄一の人生を学ぶ意味
・青年期の栄一とその多彩さの原点とは
・行動力により開かれる未来
・世界を自分の目で見ることの大切さ
・官僚として日本社会を変えた栄一
・国民に愛された人、その理由
・栄一の人生から現代社会に生かせること
・これからの時代を生きるあなたへ

今渋沢栄一の人生を学ぶ意味

 

今この日本では景気不況や感染症、少子高齢化など暗いニュースが蔓延っています。

そんな日本をこれから担う20代の私たちは己を良く知り社会にギブする、そして未知のことに挑戦する。
そんな志が必要とされてくるでしょう。

お札に選ばれる人物はその時代で目指すべき人物の姿でもあります。

今の日本の社会で、こうなって欲しいと思う人物の理想像そのものが渋沢栄一の生き方には詰まっているのです。

 

青年期の栄一とその多彩さの原点とは

渋沢栄一は1840年江戸末期に現在の埼玉県深谷市血洗島に生を受けます。

実家は農作の他、養蚕や若干の金融業などの諸業を営み栄一の父親の代には染料のもととなる藍玉の製造・販売を
本格的に手掛けたことで村を開いたとさえ言われています。

裕福な農家で生まれ育った栄一ですが、ボンボンとしてぼんやりとしてはいなかったようです。

14歳で藍の目利きをはじめその商才を開花させると同時に、漢学等勉学にも勤しみ、著書の中でも自分は父よりも読解力は高かったとさえ言っています。

勉学に農作、商売に剣術など栄一の興味は多岐に渡りました。

このたくさんのことに興味を持つ栄一の姿勢は後の成功にも繋がります。

行動力により開かれる未来

遊学で2ヶ月程度江戸に行った際には攘夷志士とも親交を持ちました。
そしてなんと、高崎城乗っ取り横浜焼き討ちを企てています。

この頃日本は幕末、黒船・ペリー・日米修好通商条約の頃。
国民は江戸幕府へ強い不信感を政府に持っていたのです。
とはいえすごい行動力ですね。

しかしこの企ては周囲からの強い反対を受け、計画を中止・京都に出奔。

さらに数奇なことに栄一は京都に出奔した後には逆に、江戸幕府の要である一橋家 徳川慶喜に仕えることになるのです。

江戸幕府の倒幕を企てながら、時を置かずその江戸幕府に仕える。
一見すると一貫性がない行動にも見られます。

しかしこれは、幕府側であるという大きな括りで人を見ず、栄一が慶喜の人柄を判断した結果だと言われています。

以後生涯慶喜と栄一はよき友好関係を結んでいたと言われています。

農家から攘夷志士、翻って幕臣。
この時点で栄一は26歳ですが、流されるがまま色んなことに手をつけていたようにも見えます。

しかし実際にはただただ流されていたわけでなく
大局を見て社会のために何ができるかを判断していたのですね。

この時期の栄一の生き方は、清濁併せ呑み全てを吸収することで自分自身も想像しなかった新しい世界へ果敢に挑戦することになる様子が如実に現れています。

世界を自分の目で見ることの大切さ

さて、徳川慶喜が将軍になってからというもの思うように仕事ができなくなった栄一は、辞職も考え鬱々としていたところ、パリ万博の随行員として声がかかります。

たった29名の一行に農民上がりの栄一も選ばれることになった訳、それは、当時の幕臣は基本的に頭の固いものばかりだったことに一因があります。

頭の固い集団の中で、様々な経験があり、頭の柔らかく若い栄一は西欧の情報や進歩を国に持ち帰らせるのに
打って付けの人材
だったのですね。

栄一は万博をはじめとして、西欧諸国の進んだ技術と資本主義の仕組みを肌で感じ、学ぶことになります。

しかしこの渡航も1年あまりで中止。

それは、慶喜が大政奉還を行い、明治政府へ移行したことで一行の後ろ盾がなくなったからなのです。

帰国した栄一ですが、すでに仕えた幕府は存在しません。

落ち込む暇もなく栄一は前を向いていました。
始まった明治の世で、栄一は学んだばかりの資本主義という制度を日本に普及させることを始めます。

日本を離れ、大きな世界を見たことで自分の小ささ・日本の小ささを知り、国の仕組みそのものを変える必要を感じた大きな局面です。

この経験が、栄一の生涯の目標を定めることになります。

このことから、世界を自分の目で見ること・肌で感じることの大切さがわかりますね。

 

官僚として日本社会を変えた栄一

 

1869年29歳の栄一は、
日本で初めての株式会社「商法会所」を設立。

このまま日本に資本主義を広めるべく商人として活動をしようとしましたが、新政府が栄一を放っておいてはくれず、
大隈重信の勧めで大蔵省へ出仕することになるのです。

大蔵省での活動は彼の生涯の中では短いですが、後の日本に与えた影響は目覚しいものがあります。
郵便制度/新貨幣、円/廃藩置県/戸籍法/鉄道開業/富岡製糸場/国立銀行設立/地租改正などなど、、、。

たった4年間、33歳まででしたが、栄一は官僚として目覚しい活躍をしました。

みなさんが普段生活する中で利用するありとあらゆるサービスの根源は栄一が作ったものだったのですね!

どうしてこんな短期間で成果を出せたのか、それはもちろん時代の要請をあったと思います。
ですがそれ以上に栄一の、列強に負けない日本へ変えなければいけない。
そんな向上心と愛国精神、社会に対して自分ができることをしようという思いが強かったのではないでしょうか。

国民に愛された人、その理由

その後実業家・財界人として
栄一は資本主義普及に注力することになります。

設立に関与した会社は500余りにのぼります。

第一国立銀行(現在のみずほ銀行)に帝国ホテル、サッポロビールにアサヒビール、東京電力、東京ガスなど…。
今の時代を牽引する大企業をの創生に関わっていました。

それだけではありません。

国をよくするためには、経済の力だけでなく教育や福祉の力も必要だと感じていた栄一は、一橋大学や東京経済、日本赤十字など多くの学校や社会事業団体も設立しています。

1931(昭和6年)91歳でこの世を去るまでの間、一体何人の栄一が日本にいたのだろうとさえ思ってしまうほどの活躍を残したのでした。

そして最期、その死は国民葬のように何千人もの人が日本資本主義の父栄一の死を悼んだのでした。

功績を残しただけでなく、 多くの人に愛された人だったのですね。
それは栄一が生涯自分の利益だけでなく、社会利益を考えた結果とも言えるでしょう。

栄一の人生から現代社会に生かせること

農民、攘夷志士、幕臣、官僚、財界人と、その人生の中で何度も肩書きを変えた栄一のその人生は人生100年時代としてLifeShiftを叫ばれる令和のこの今の世にこそ見直されるべきでしょう。

何故ならば、今の時代大きな企業や政府が一生自分を養ってくれる、そんな安全神話は脆く儚く消え去っています。
そのことにより、個々人が自分自身のマネジメントを行わなければならないのです。

では今自分は何ができるか、そう強く問いかけた結果として職業や肩書きはなんでもありません。
大切なことは自分が社会に何ができるかです。

そのことを、栄一は生涯を通して伝え続けてくれています。

 

これからの時代を生きるあなたへ

栄一74歳の著書「論語と算盤」の中で、栄一は蟹穴主義を唱えています。

蟹穴主義とは蟹は自分の甲羅の大きさに合わせた穴を掘ることから転じて、自分の身の丈を超えた無理はしないこと、自分の守備範囲、己を知ることとして使われています。

自分の身の丈を知り、その中で誠意を尽くしてやりきる。
またさらに一歩先に自分のできることがあれば挑戦する。

ただし、できないことをできるとは言わない。
そのためには自分のことをよく知ることが大切だということです。

あなたは今の自分のことをどれほど知れていますか?
与えられた仕事を全うできていますか?

栄一の生涯を知ることで、この人生100年時代で求められる人物像のその一端を知ることができましたでしょうか。

今回は栄一の生涯をざっくりとお送りしていますが、栄一がその生涯のバイブルとして活用した論語も非常に興味深いです。

栄一は道徳と経済どちらも大切で、
道徳はありがたいが役には立たず経済だけでは我欲にのまれるのでどちらもバランスよく持っていることが大切だと言います。

栄一は「論語の読み方」という著作も出しておりますので興味をお持ちの方は合わせてチェックしてみてください。

最後に私の好きな栄一の言葉をお借りして記事を締めくくりたいと思います。

高い道徳を持った人間は
自分が立ちたいとおもったら
まず他人を立たせてやり、
自分が手に入れたいと思ったら
まず他人に手に入れさせてあげるのである。

kanaho

 

kanaho

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米農家出身東京在住建築士(23) 絵描き・フォトグラファー・お絵描き先生、 ブランドプロデューサー・オーナー等活動中。 本も映画も漫画もファッションも、 ご...

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