経済を学ぶなら「余り」から学べ? 分かりやすく経済を解説!(後編)

父から娘に語る
勉強

 

「父から娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。1万年前から現代まですべてを紐解く資本主義」

今回は後編ということで、まだ前編を読まれていない方は4月9日更新の前編をお読みいただくことをおすすめします。

経済を学ぶなら「余り」から学べ? 分かりやすく経済を解説!(前編)

 

今回も、「経済」についてとんでもなくわかりやすく書いていこうと思います!
紹介するのは前回に引き続きこちらの本!

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

さて、前回は「余り」が文字・通貨・債務・警官・軍隊・宗教といった、様々なシステムを生み出したことまでお話しさせていただきました。

今回は、さらに踏み込んで「余り」を通して経済の仕組みを紐解いていこうと思います。

今回は、主に下の3つのテーマをメインに考えていこうと思います。

 

①なぜアボリジニはイギリス人に支配されてしまったのか
②なぜアフリカから強国が生まれなかったのか?
③産業革命はどうしてイギリスで起こったのか?

 

①なぜアボリジニはイギリス人に支配されてしまったのか?

アボリジニ

出典(http://aboriginalwar.blogspot.com)

世界の歴史を見ていくと残念ながら「支配」の歴史が存在します。
イギリスのオーストラリア侵略、アボリジニの支配も例外ではありません。

でも、ここで考えたいのはなぜイギリスが占領したのか?という点です。
逆を言えば、なぜアボリジニはイギリスに占領されてしまったのか?です。

 

実はその背景には「余り」が関係します。

まず、「イギリス」もしくは、帝国主義の大帝国が集中していた「ユーラシア大陸」を考えてみると、
実はあまり気候に恵まれていない地域が多く存在します。

そうなると、自然に任していては農作物を獲得することができず飢えてしまう人が出てしまいます。

そこで、ユーラシア大陸に住んでいた人々は、耕作に力を入れて、自らの力で農作物を育てました。
その結果多くの「余り」の農作物を生み出すようになって行くようになりました。

その「余り」は前回の記事で説明したような様々なものを生み出し、
結果的に武器や軍隊を備えるようになっていきました。

 

一方、オーストラリアを想像して見てください。

オーストラリア

豊かな気候広大な自然が広がります。
そこには多くの作物がなり、アボリジニはあえて耕作をして、作物を作る理由がありませんでした

そこで、アボリジニが行ったことは、耕作ではなく祈りでした。
天に祈ることで、自然の恵みを受けることを祈ったのです。
そのため、アボリジニの詩や音楽・神話はこうした背景をもとに生まれ、人を攻撃するような文化は生まれませんでした

イギリスについて考えてみると、
気候に恵まれなかったイギリスは大量の「余り」を貯めないと、生きていけなかった。
さらには、周りにたくさんの強国が生まれてきてしまった。

そうした背景はさらなる「余り」の獲得のための文明、航海技術などを生み出して行き、
その勢いはオーストラリアまで達しました。

気候に恵まれなかったという悪条件が、軍隊や武器を生み
反対に、恵まれた気候はこうした軍隊や武器を生み出す必要がなかった。

これが、オーストラリアがイギリスに侵略されてしまった大きな原因の一つだったのです。

 

②なぜアフリカから強国が生まれなかったのか?

アフリカ

 

アフリカの歴史の中に「奴隷貿易」という悲しい歴史が存在します。
ヨーロッパの強国に支配されて、アフリカの人々が言いなりになるしかなかったという歴史です。

では、なぜアフリカから強国と言われる国が出てこなかったのでしょうか?

本書ではこの答えに対してこう解説します。

アフリカはユーラシア大陸に比べて南北に長く、様々な気候を有します。
赤道近くに行けば、熱帯が存在し、その他の地域には乾燥地帯(砂漠)も存在しています。

一方で、ユーラシア大陸は東西に長いです。
そのため、ユーラシア大陸は比較的同じような気候を有していて、気候があまり変わりません

これにより、大きな文明の差が生まれました!

アフリカの一部で農耕経済が発展しても、気候が異なるために同じ耕作技術が他の場所では通用しなかったためにその仕組みは広がりませんでした。

一方で、ユーラシア大陸は同じような気候の地域がほとんどであったため、
誰かが画期的な農耕技術を開発した途端に、それが西へ東へ瞬く間に広がって行きました!

 

こうした、背景によりユーラシア大陸のに農耕技術は飛躍的に向上し、さらなる「余り」を生んで行きます。
そのあとは今まで説明してきた通りで、「余り」が様々なものを生み出していき、どんどんと強国となったいきました。

これが、ユーラシア大陸に多くの強国が生まれ
アフリカ大陸に強国が生まれなかった一つの大きな原因です!

③産業革命はどうしてイギリスで起こったのか?

産業革命

Omaha (Nebraska), Union Pacific Railroad. The first tracks were laid here in 1865. Woodcut engraving, published in 1880.

では、人類の歴史上ものすごく大きな出来事である「産業革命」はなぜイギリスで起こったのか?
これを解説していきたいと思います。

まず、こちらの引用をご覧ください!「産業革命」がいかに人類の歴史において大きな出来事だったのかご理解いただけると思います!

過去100万年にわたる人間の生産性の推移を調べた人がカリフォルニア大学バークレー校にいる。彼によるとローマ時代の2000年前から産業革命が始まる頃まで、人間の生産性は2倍ぐらいにしかなっていない。しかし、そこからの200年ぐらいで50〜100倍に上がっている。 安宅和人「シン・ニホン」より

Card

 

時は16世紀、世界で造船技術が発達し「大航海時代」を迎えたヨーロッパ。

オランダ・スペイン・ポルトガルの商人はイングランドやスコットランドで羊毛を積み、
中国で絹と交換、絹を日本で刀と交換、インドで刀を香辛料に変えることで金を生んでいきました。
これは大きな金を生み、オランダ・スペイン・ポルトガルの商人はどんどん儲かっていきました!

これに腹を立てたイングランド・スコットランドの領主は金欲しさに羊毛の大量生産に踏み切りました。

これまで野菜などを作っていた農民を価値がないものと見なし、追い出したのです。
さらに、追い出した土地を誰かに貸し出して、羊を飼育させました。
そうすることで、大量の羊が飼われるようになっていきました。

その土地は、農民が借りるわけですが当然お金がありません。
そこで農民はそのお金を領主から借りました。高利子で・・・・

 

農民は毎回、領主に取引・市場で羊毛を売ったお金を支払いました。
これが、市場への強制参入です。全ての農民が商人になった瞬間です。
その日から、農民はいかに羊毛を売るかを考えて生活するようになりました・・

これは、農民にとったは悲劇でしたが、領主にとっては好都合。
市場で得た、たくさんのお金を手にしていきました。

そういった状況の中、スコットランド人発明家ジェームズ・ワットが蒸気機関を発明しました。

当時、農民の中には囲い込みにより土地を追い出され仕事のない人も多くいました。労働力です。
また、領主はすでに羊毛の生産により大量の資金を得ていました。

こうした、資金と労働力、発明が見事に合わさりイギリスで産業革命が生まれたのです。

まとめ

経済

いかがだったでしょうか?
話は長くなったしまいましたが、ストーリーとして納得できるものが多いと思います。

今回、自分が経済を学ぶ上で、大事だと思うったことは「なぜ」に注目するということです。

経済とは人々が生み出した者であるため、必ずそうなった理由、背景があります。

おそらく、今まで抱いていた「経済」という言葉へのアレルギーは表面上を見ていたことによるものだったのかなと思います。

今回で言えば「余り」を中心に経済について考えていきました。
どうしてそうなったのかが理解できれば経済についての理解も深まると感じました。

この本では、ここからさらに経済について書かれていきます。
いずれの話も必ずその背景、理由を掘り下げて考えていくのですごくわかりやすかったです。

経済にこんなにも興味を持たせてくれたこの本に感謝です!

皆さんも、ぜひ読んで見てください。
そして、経済を聞くとアレルギーが出る友達に紹介してみてください。

経済についての見方が変わっていくと思います。

2回にわたり読んでいただきありがとうございました!

 

hohohoo1125

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本業Educator. スロバキア留学で自分、また日本人の英語能力の低さ、課題解決能力の低さを痛感。日本の教育を世界に誇れるものに! 今は自分の可能性を広げ...

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