偉人・田中角栄に学ぶ今を生きる為の人心掌握術

はじめに
建築設計事務所勤務の傍ら、
デザイナーなどをしていますkanahoです!
突然ですがみなさん、
田中角栄をご存じですか?
戦後の総理大臣でも傑出した能力と人望を持った人物です。
娘真紀子さんの辣腕や、ロッキード事件などで記憶されている方も多いかと思います。
そんな田中角栄が、
「コンピューター付きブルドーザー」なる異名を持っていたことはご存知でしょうか。
実は田中角栄、ただの政治家ではありません。
政治家でありながら建築士でもある。
膨大かつ明晰な知識と、徹底してやり抜く実行力の凄まじさから、そのような異名を持っていたんですね。
2018年には田中角栄の生誕100周年を記念して石原慎太郎さん著の「天才」の刊行。
ベストセラーをはじめとして再度話題になった人物でもあります。
私と同じ新潟出身建築士である田中角栄に興味を持ち、調べていく中で田中角栄の人心掌握術に魅了されました。
首相就任時支持率80%を超えた田中角栄。
彼の人心掌握術を知ることで、個人が分断された現代でも、人と共に未来を創る力を学べると思い記事にいたしました。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
努力の人田中角栄
田中角栄は1918年新潟県刈羽村で貧しい農家に生まれます。
そして幼い頃に兄を亡くし、7人兄弟の実質長子として育ちます。
当時から尋常ならざる努力家で学校でも優秀な成績を収めます。
しかし、高等小学校(現:中学校)を14歳で卒業した時点で貧しさから東京へ働きに出ています。
土木業者や工事監督等建設業界で働き、日中戦争にも徴兵。
その後建設業界での学んだことを生かし建築士を取得。
なんと25歳で田中建築事務所を設立します。
2年後に田中土建工業を設立し全国50位に入るほどの工事実績を残し商才を発揮。
同社顧問の政治家に商才と知識の豊富さを見込まれ、29歳で衆議院議員に初当選。
政治家としての道を歩み始めることとなるのでした。
弱みを強みにする
政治家になった田中角栄のキーワードは、
建設・地方・人心掌握でした。
新潟の極貧の村から出てきた田中角栄は、貧しさから日々ご飯を食べることに手一杯になっても仕方がなかった。
しかし、田中角栄はもっと先の未来を見ていました。
地方と東京との格差に大きな疑問を抱き、この格差を是正していくことを田中角栄の政治の軸としていきます。
さらに学歴としては中卒で低学歴の田中角栄、エリート揃いの政界では価値観の差や選民意識から爪弾き者にされてもおかしくなかったはずです。
そんな田中角栄がうまくいった秘訣は、人心掌握術です。
金と情の使いかたが非常にうまかったのですが、その使い方がまるで伝説のようなのです。
人の大切なものに気配りする
政治は自分の陣営にどれだけ人を組み込めるかが大切になってくるといいますが、自分の味方での引き入れ方が凄まじかったといいます。
こんな逸話があります。
田中角栄の陣営ではない人が入院することになる。
そんな時は一番に見舞にきて、見舞金を渡してくれる。
見舞金は50万円くらいだと予想して見ると、
なんと500万円がつつまれている。
そんな見舞金を、入院中毎日やってくる。
また、冠婚葬祭でお休みをすれば、一番に駆けつけて必要なものを寄越してくれる。
そんな生きたお金の使い方をした人だといいます。
もちろんうまかったのはお金の使い方だけではないといいます。
田中角栄が大蔵大臣に就任した際に大蔵省へこんな挨拶をしたことが有名です。
私が田中角栄です。
皆さんもご存じの通り、高等小学校(現:中学校)卒業であります。
皆さんは全国から集まった天下の秀才で金融、財政の専門家ばかりだ。
かく申す小生は素人ではありますが、棘の多い門松を沢山くぐってきており、いささか仕事のコツは知っているつもりであります。
これから一緒に国家の仕事をしていくことになりますが、お互いが信頼しあうことが大切だと思っております。
従って、今日只今から、大臣室の扉はいつでも開けておく。
我と思わん者は、今年入省した若手諸君も遠慮なく大臣室に来てください。
上司の許可を取る必要はありません。
できることはやる。できないことはやらない。
しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。
以上!
部下に裁量権を与え、かつ責任は自分でとるその姿勢。
なおかつ自分の長所短所を理解し、相手のことを尊重していることがわかります。
その言葉、そのエネルギーに、
ついていきたいと思う人物が増えていくことも当然のことに思われます。
なぜ今、田中角栄なのか
そうして官僚の心も国民の心も、金・人格・知識・パワーで掌握していった田中角栄は
54歳で内閣総理大臣に就任します。
これは、2006年の安倍晋三総理就任まで、戦後最年少を記録していました。
総理就任後田中角栄はまず、日中国交正常化に取り組みます。
さらに列島改造論を推し進めます。
新幹線・高速道路のインフラ整備、テレビ文化の生成、原子力発電の誘致、
現代の日本の基盤を作ったのは田中角栄だといっても差し支えないほどにその存在は大きなものでした。
その存在のあまりの大きさから、金脈政治と愛人問題を文春砲で突かれ、僅か2年で退陣。
その後、ロッキード事件でとどめを刺されます。
それでも田中角栄は築き上げたその人脈から、政界を長きにわたり陰で操り「目白の闇将軍」と呼ばれました。
かつては「首相の犯罪」によって糾弾され、政界を追われたはずの田中角栄が今、「不世出の政治家」「天才」と見直されています。
それは、
恵まれない環境からのし上がったパワーと、ずば抜けた人心掌握術をもったヒーローの登場を今の日本が待ちわびているからかもしれません。
おわりに
私は田中角栄の人心掌握術とは、
相手に寄り添う共感力と、望みを叶えるパワーだと思います。
相手が何を求めているのか、どうしたら相手が動いてくれるのか。
それを実際に極貧からのし上がる中で体験し、必死に努力し日本を改造した田中角栄。
私たちができることも、まだまだたくさんあるかと思います。
近代の偉人を学ぶことで、皆さんと学ぶパワーに変えていければと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
kanaho.
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