人生を切り開く”アート思考”~書籍『13歳からのアート思考』に学ぶ~

はじめに
こんにちは、kanahoです!
突然ですが、質問です。
あなたはアートについてどんな印象を持っていますか?
「なんだか難しそう」
「落書きは好きだけど、上手に作ったり書いたりすることは出来ないから苦手、、、」
「美術館はすき」
「図工はすきだったけど、美術は成績が悪かったし、実用性がなくてわからない」
「アーティストと自分は関係ないけど、鑑賞するのは楽しい」
自分に直接的に関係のある物事として扱う人あまり多くないかもしれませんね。
しかし実は、この多様性・ボーダーレス・ウィズコロナの不透明な時代で、
これからの人生で必要になってくるのは「アート思考」だと言われたらどう思いますか?
「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考
今回、現役で中学校の美術教師をしつつ、アーティスト活動をされている末永幸歩さんの 『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 』を参考図書とさせていただきました。
著書では、アートの見方を知ることで、これからの人生で必要な「アート思考」を身に着けるための方法、
そして、アート思考を知るための簡潔な6つの作品を紹介しています。
アートとは縁がないと思っていたあなたも、絶対に必要な「アート思考」がすぐに学べる一冊です。
ぜひ最後までお付き合いください。
アート思考とは
これからの人生で必要になってくるのは「アート思考」だとご紹介しました。
「いやいやそもそもアート思考ってなんのことかわからないし、アートには実用性がないから人生には関係ないでしょ、、。」
そんなふうに思う人も多いかもしれませんね。
なぜ私たちが、人生とアートは関係ないと感じるのか、それは、美術教育の失敗だと末永さんはいいます。
実際、中学生や高校生で「美術」という科目ができてから好きじゃなくなった人、多いのではないでしょうか。
私自身、今はイラストレーターやお絵描き先生、写真家等アーティスト的な活動をしていますが、実は美術の成績はあまり芳しくありませんでした。
歴史的な人物や流派の名前を覚えるのが苦手なのもありましたし、ただ好きで描いたり作ったりしていただけなので、きちんとした技術はなかったんですね。
結果、どう頑張っても成績が微妙な評価しか得られず、「アートって結局なんなのかわかんないし、観るのはいいとしても作る側じゃないんだな。」と落胆したものです。
しかし本当はアートとは、歴史や記憶力、数値化できる技術によって評価できるものではありません。
アートって実は、「固定観念をいかにしてぶち壊して自分なりの答えを見つけるか」の格闘であり、
アート思考とは
ー「自分だけのものの見方」で世界をみつめ
ー「自分なりの答え」を生み出し、
ー「新たな問い」をそこから生み出す。
そんな思考の方法のことなのです。
どうでしょうか。
倫理観もデータも既存の固定観念すべてがあてにならないこの時代で、「アート思考」が必要になってくる理由がわかってきたのではないでしょうか。
アーティストのアート思考
アート思考=固定観念に疑問を持ち、自分なりの正解と問を導き出すこと。
ということはわかりましたが、実際にどうすればアートからその思考を学び、そして自分自身もできるようになるのでしょうか。
アート作品とは、アーティストの答えのひとつを表面化したものです。
その答えにたどり着くまでには、時代背景や、その時代ごとの固定観念が先にあり、アーティストはそれらに疑問を抱き、自分なりに考えを巡らせ、探求心を実らせ、表現方法を模索し、多くの技術と知識をもってその答えを世に出しています。
面白いのは結果の部分でなく、その思考のルートです。
例えるならば、アート作品が花で、その思考や技術、背景は根っこの部分なんですね。
この、根っこの部分を深堀して知ることで、アート思考を身に着けることができます。
今回紹介するのは20世紀に常識を変えた6つのアートです。
14世紀から19世紀までの500年間、アートのゴール(アート作品の結果)はたったひとつでした。
それは、「まるで本物のようにリアリティをもって美しく表現されていること」
それは、アートは宗教画や、貴族の肖像画を目的に作成されていたからです。
しかし、テクノロジーの進化でアートはゴールを見失いました。
それは、カメラ/写真の登場です。
19世紀に活躍した仏人画家のポール・ドラローシュは言いました。
「今日を限りに絵画は死んだ」
2次元表現のリアリティの頂点に写真が君臨したことで、アートはゴールと意味を失ったのです。
そこからの20世紀のアート界はアートにしかできないことは何かを探求し、固定観念を叩き壊す戦いでした。
この戦いの記録、イノベーションを起こしたアート思考こそが、これからの時代に役立つのです。
ここからは20世紀のアート界にイノベーションを起こした6作品を紹介していきます。
マティスの探求「いい作品ってなあに?」
マティス(1869-1954)はカメラが登場し、リアリティという正解をなくしたアート界にこんな問題作を掲示しました。
作品名は「マティス夫人の肖像」
この作品、マティスの奥さんを描いたものなのですが、率直にどう感じますか?
あまり美人ではないし、鼻筋が緑色で怪物らしい、場所もわからないし、綺麗とも言い難い、、、。
好意的な感想はあまり期待できませんよね。
それもそのはず、公開当時も「奥さんの公開処刑」と揶揄され、批判されました。
マティスはこの作品でなにが表現したかったと思いますか?
実はマティスは、リアリティを追い求め続け、そしてカメラの登場でそれを打ち壊された世間に、こんな問いを訴えているです。
「目に映るそのままを描くのだけが、アートではないのではないか?」
目に映るそのままをリアルに描くことがいい作品の正解という500年間続いた固定観念から、ゴールを脱却させた最初の代表作がマティスの作品だったのです。
このマティスの疑問が、20世紀のアート思考の幕開けになりました。
ピカソの探求「リアルってなんだ?」
絵をかいたときに「上手!」だと思う条件ってありますよね。
その条件をもとに、下記の絵のどちらが上手だと思いますか?
①
②
これ、実はどちらも私が書いたもの何ですが、②のほうがいいと思った方のほうが多いのではないでしょうか。
理由も含めて、よく考えてみてくださいね。
色がついているから、単線でないから、、等あると思うのですが、「リアルじゃないから」という意見が多いのではないでしょうか。
まさに、500年間続いたアートのゴール(=固定観念)に引っ張られた思考になっていませんか?
ピカソ(1881-1973)は誰もが思う「リアルさ」について一歩先まで考えた人でした。
その代表作は、「アビニョンの娘たち」
これは、ピカソの考えた究極のリアリティです。
体のバランスもとれていないし、肌の色も違う、なんだか化け物じみているし、これがリアルとは、、。そう思いませんでしたか?
ピカソは絵画でしか表現できないものを探求する中で、それまでの主流であった遠近法によるリアルな絵画が実はリアルではありえないことに気づきました。
目の錯覚や、ピントが均一すぎること、情報量が少ないことから、本当のリアルが何なのかを追い求めたのです。
結果、この「アビニョンの娘たち」では、多視点での情報を再構成し、2Dに落とし込むことで究極のリアルを表現したのです。
普通にこの絵画を見ると、子供でも描けそうで、稚拙な絵だと感じた人もいるかと思いますが、こんな風に背景と思考の形跡を知ると、面白さが広がりますよね。
カンディンスキーの探求「絵は見えるものだけ?」
固定観念を覆し、アートにかできないことを探求するアーティストたち。
その3人目の挑戦者はカンディンスキー(1866-1944)です。
代表作は「コンポジション」シリーズです。
これ、何が描かれていると思いますか?
作品をじっくりみて考えてみてください。
これは、カンディンスキーが、音楽を表現したものとされています。
所謂、抽象画の最初の代表作とされています。
目に見えるものだけでなく、音や香り、感情等を表現することもアートなのではないかと提起したのでした。
デュシャンの探求「アート=美?」
アートは、芸術。
芸術とは、美しいもの。
いまでもそう思っている人は多いと思います。
この固定観念に対してNOを叩きつけたのが、デュシャン(1887-1968)でした。
デュシャンはフランス生まれで、画家として成功し、美術展の審査員等も務めた優秀なアーティストです。
そんなデュシャンが審査会に入っていた展示会において、偽名を使い、こんな問題作を出品しようとしました。
作品名は、「泉」
見ての通り、男性用小便器です。
もちろんデュシャンは、よほどの好き物でない限り小便器を好んで展示したい人はいないだろうと言っており、美しい作品として作成したものではありませんでした。
この作品のアート性、それは、「美しいものだけがアートなのか?」という探求思考にスポットがあてられたのです。
こうして、「泉」は20世紀最大の衝撃のアートとして人々の記憶に残ったのです。
ポロックの探求「表現したものがアート?」
ここまでの4作品で、アートはリアルに美しく描かれたものであるべきという固定観念をあらゆる面から覆されてきました。
ー視覚情報そっくりそのままが正解ではない。
ー遠近法がリアリティではない。
ー絵は具体的な何かを描かなくてもいい。
ーアートは美しくなくてもいい。
これらの固定観念への疑念は、言われてみるとそうだと感じます。
しかしその作品発表当時、多くの批判に晒されたことからも、そのイノベーションがあまりにも革新的だったことがわかります。
自分がその当時に生きていたとして、もうこれ以上覆せるものはない、、、そう思いますか?
実はまだ固定観念にとらわれているんです。
ポロック(1912-1956)の掲示する疑問は斬新です。
この作品「ナンバー1A」なにが描かれていると思いますか?
怒り?クジラ?環境問題?ごみ?
正解は、「キャンバスに絵具をつけたもの」です。
意味が分からないですか?
例えると、今この記事を読んでいるあなた、あなたは、記事を見ていると思っているかと思います。
しかし、実際には「PC(あるいはiPhone、スマホ)の画面に映し出される光を見ている」だけですね。
ややこしいですが、ポロックはアートとしてはじめて、なにも描かないことを描くことを表現したのです。
まだ固定観念があるのかと驚かされますね。
ウォーホルの探求「アートとアートでないものの違いってなんだ?」
これが最後の作品です。
作品名は「ブリロ・ボックス」
作者はアンディ・ウォーホル(1928-1987)
ビートルズ等に並び、1960年代に最も影響を与えた人物の一人として有名な人物です。
彼の作品「ブリロ・ボックス」ですが、実際に彼は作品の作成は部下にやらせていますし、このブリロ、いわゆるメジャーな洗剤で、日本でいうといわば「アタック」くらいスーパーなど身近にあるデザインでした。
ではなぜこれをアートとして作品発表したのでしょうか。
ウォーホルは、目的があってデザインされたものに、アートとそうでないものの境目なんてないのじゃないかという問いを提起したのです。
これからの時代に必要な「アート思考」
19世紀から20世紀にかけて、アートの固定概念とはなにか、そんな格闘を示す6作品、いかがでしたか?
ゴールを失った道のりに新しい定義づけをし、自分なりの答えと問いを設定するアート思考。そんな見方があったか!という驚きの連続だったのではないでしょうか。
私たちが生きる今この時代も、明確なゴールはありません。
例えば、男は度胸・女は愛嬌!所帯に入って子供を育て、倹しく暮らし、旦那は定年退職まで一つの会社に勤めあげ、老後は年金で生きていく。そんなゴールは幻だったこと、みなさんならとっくにご存じですよね。
学びの中で、今生きているこの時代そのものが、ある一定期間に適用された固定観念によって形成され、いずれはなくなるものだということがわかります。
そうなったときに必要なのは、
ー「自分だけのものの見方」で世界をみつめ
ー「自分なりの答え」を生み出し、
ー「新たな問い」をそこから生み出すこと。
そんなアート思考でイノベーションを起こすことがいつだって求められているのです。
与えられたい依頼をこなし、目の前の現実(=固定観念)をそのまま受け止めていませんか?
自分がなにに興味があり、どんな考え方をするのか、深堀できていますか?
目の前の固定観念にただ従うのは楽かもしれませんが、大事なことは思考探求の根を張らせることです。
現代社会はVUCAの時代だといわれています。
【VUCAとは】
V:Volatility(変動性)
U:Uncertainty(不確実性)
C:Complexity(複雑性)
A:Ambiguity(曖昧性)
変化が激しく先行きが不透明なこの時代で、量産的思考で単純な結果を出すことは求められていません。
アート思考で探求をし、どんな未来にも備えることができる思考づくりを、いまから始めませんか?
アート思考を身に着ける自身のないあなたにも、有名なアーティスト、ピカソのこんな言葉でご自分のポテンシャルの大きさを思い出してほしいです。
すべてのこどもはアーティストだ。
問題は、どうすれば大人になったときにアーティストでいられるかだ。
思考の探求をできる人はだれだってアーティストです。
参考図書の末永幸歩さんの 『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 』では、ご紹介した作品に加えて、より実践的な思考実験を授業形式で楽しむことができます。
ぜひまずはこの本で、「ものの見方」を変える探求をしてみてください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
(絵・文/kanaho)
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