日本を知る、教養のための「武士道」

はじめに
こんにちは、kanahoです!
皆さん、お元気ですか?
突然ですが、皆さんは自分たちの住む国日本について、どの程度知っていますか?
最近では、新型コロナウイルスが大規模感染を引き起こしたり、アメリカを中心にBLMの差別廃止運動が行われたり、台湾でデモがあったりと、世界が動く瞬間が多いかと思います。
そんな中、私たち日本人が、日本人たる由縁がなにか、考えたことはありますか?
自分の住む国、自分の人種についての教養を持つことは、却って世界を知ることにもなります。
大人になった今だからこそ、そういった道徳教育の源泉、日本文化や歴史に触れること、そして自分で考える力を養うことは非常に重要になってくると感じ、現代日本の教育の基盤をつくった人物、新渡戸稲造の著書「武士道」をご紹介します。
教育や教養を知り、考えることは未来を考えることにも繋がります。
ぜひ最後までご覧ください。
教育者 新渡戸稲造
新渡戸稲造といえば、私たちには五千円札の紙幣の顔でお馴染みの人物です。
新渡戸の紙幣が日本で発行されたのは1984年から2007年までの23年間です。
紙幣になる人は、国がその時代で目指してほしい理想の人物だといわれています。
(新一万円札・渋沢栄一についての記事でもお話させて頂いています。 ☞こちら☜ )
しかし、紙幣になるほどすごい人とはいえ、何をした人なのか実際にはとく知らないことも多いですよね。
新渡戸稲造は岩手県盛岡市出身で盛岡藩士の息子として生を受けました。
外国語学、農学、宗教学に明るく、「太平洋の架け橋になりたい」と言い、時代を先駆けた人でした。
そして、19世紀後半から20世紀にかけて教育家・思想家として活躍。
国際連盟の事務次長まで務めた人で、博学で向上心の高い人だったといいます。
新渡戸稲造の「武士道」
今回ご紹介する「武士道」は、そんな新渡戸が1899年に発表した著書で、原文は非常に流麗な英文で書かれています。
なぜ新渡戸は日本の心ともいえる武士道について、外国語で書いたのでしょうか。
それは、あるエピソードに拠るものだそうです。
新渡戸はがベルギーの宗教学者の友人と話している時、こんな質問をされたそうです。
「日本の学校では宗教教育がないと聞きます。
それが本当なら、どのようにして道徳教育をしているのですか?」
これは現代でも国際交流をするときに決まって話題に上がることの一つではないでしょうか。
みなさんもどのように道徳教育をされたか思い出してみてください。
日本人には無宗教であるという人が非常に多いですが、これは、グローバルスタンダードではありません。
日本ではなんらかの信者であることを明かすと胡乱な反応をされることも多いですが、日本以外では逆に、道徳や心の軸の欠如とみなされて怖がられることも実は少なくない程です。
新渡戸はこの質問に対して驚き、すぐに答えることができなかったそうです。
なぜなら、新渡戸自身への道徳教育は学校で教わるものではなかったからだそうです。
しかし、自分の中の倫理観を形成する要素を分析した結果、その要素の原点は「武士道」であることに気づいたのです。
また、新渡戸の妻はメアリー・エルキントンというアメリカ出身の女性でした。
海外との交流が深かった新渡戸は、日本人以外の人にも日本を理解してもらうため、この「武士道」は英語で書いたのですね。
日本にいながら日本以外の人とも容易にコミュニケーションが取れる現代、自分の国の歴史や、教育について教養を持つことは非常に大切なことではないでしょうか。
今回ご紹介する「武士道」は、新渡戸の気づいた日本人の倫理規定・教育です。
私たち一人ひとりも、それぞれ自分たちの倫理観を規定するものが何なのか、考えなおしてみるのはいかがでしょうか。
「武士道」とは
武士道とは、英文でchivalryと訳されます。
このchivalryは言語では騎士道というような意味ですが、実際の日本語での武士道と騎士道は少し違う部分があります。
武士道はもともと武士階級のための武士の掟です。
しかし封建社会の崩壊とともに武士階級に限定された掟ではなくなり、
庶民に至るまで広く道徳的心の育成に用いられるようにまでなりました。
クールジャパンに代表される文化「サムライ」のイメージの源泉でもあるものですね。
現代日本を生きる私たちの中で、「武士道」を持つ人がいるかと言われると、そういないと思います。
しかし、「武士道」や「サムライ」といった言葉は現代日本では封建的だとか、権威主義だとかマイナスの意味で用いられる訳では決してありませんよね。
むしろ、決断力がある、果敢なリーダーである、フェアプレー精神を持っている、責任感の強い正義漢等の肯定的な意味で使われます。
現代社会と「武士道」
ボーダーレスな現代社会で、武士道をもったサムライのような人間を目指すのは主旨が違いますね。
私たちが日常や教育上武士道を常に意識することはそうありませんが、「卑怯者」や「恥知らず」に嫌悪します。
更に、一貫した態度のリーダーを愛することからも、武士道精神が残っていることは証明されます。
武士道とは、仏教や神道、論語等と、日本の封建制度をベースに高い身分である武士が守りべきルールを体系化したもので、知識としての倫理観ではなく、実践のための倫理規定であったものです。
現代の私たちからするとなじみ深いのは、挨拶や礼をきちんとすることといった「礼儀作法」や、金銭や欲を求めるのは卑しいものだといった名誉心の部分ではないでしょうか。
これらの倫理観は私たち現代日本の倫理観のベースになっているといえます。
「武士道」について考える。
新渡戸は、武士道には「義・勇・仁・礼・誠」があり、これを名誉と忠義を守るために体系化したものだと考えています。
「武士道」で紹介されている考え方、礼儀作法は、今私たちが正しいと感じる倫理観の元になっています。
しかし、倫理観の元は一緒でも、実際の考え方は、社会の状況により刻一刻と変化します。
例えば、今の社会では自分の仕える会社のために命を捧げることは、必ずしも美徳にはなり得ません。
現代日本ではブラック企業の社畜だと同情の目を向けられることになるでしょう。
昔武士道の考え方があったから、今も同じ考え方をするというのではなく、時代に即した柔軟な考えを持つための軸を形成することが重要なことがわかります。
先ほどお伝えしたように、私たちの現代日本人の倫理観のベースは、武士道に基づいていることは多いです。
大人になった今だからこそ、そういった道徳教育の源泉、日本文化や歴史に触れること、そして自分で考える力を養うことは非常に重要になってくるのではないでしょうか。
今回ご紹介した新渡戸稲造の「武士道」は、2005年に現代語訳され、非常に読みやすい一冊になっています。
ぜひ、思考の勉強のきっかけに読まれてはいかがでしょうか。
kanaho
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