【セルフマネジメントにもつながる?】「人間の本能とは?」を考えてみよう!

そもそも本能って何?
こんばんは!ライターのokuboです。
皆さんは「本能」と聞いて、何をイメージしますか?
そもそも「本能」について深く考えたことはありますか?
・パッと思いつくのは、生存本能?
・生きていく上でほぼ無意識にしていること?無意識にしてしまっていること?
・制御が必要で、制御しづらいもの?
「本能」について意外と深く考えたことがないなと思い、僕も少し考えてみたのですが、意外とぼんやりしている言葉の一つかもしれませんね。
よく「本能」とセットで語られるのは、「理性」という概念です。
「本能」がもともとあり、それを「理性」でコントロールするといった関係性で語られることが多いように思います。
今回は、意外とぼんやりしている「本能」について、あらためて考えてみます。
定義はどうなっているだろう…?と思いググってみると
本能とは、動物が生まれつき持っていると想定されている、ある行動へと駆り立てる性質のことを指す。(Wikipediaより)
動物個体が、学習・条件反射や経験によらず、生得的にもつ行動様式。帰巣本能・生植本能・防御本能など。(デジタル大辞泉より)
大まかにいうと”動物に備わった生まれつきのもの”ということですが、正式な定義はなされていないようです。
本能と煩悩はつながっている
「本能」とは何か?を知るために、「本能」と近い存在であるという「煩悩」について考えます。
「煩悩」は「本能」とほとんど一緒だと言われています。
例えば、
「食べたい」
「寝たい」
「成長したい」
「認められたい」
のように、どちらも「〜したい」「〜なりたい」という人間が本来持っている”欲求”です。
大晦日の夜に「除夜の鐘を108回鳴らす」とあるように、煩悩は108個あると言われています。
煩悩がこんな多くあるとともに、本能も同じようにいろんな種類があるのだと思います。
欲求に固執しすぎるのは良くない
煩悩といえば、悪と考える人もいますがけっしてそうではありません。
「食べたい」「寝たい」「成長したい」「認められたい」などさまざまな欲求があるからこそ人間は発展してきたとも言えます。
例えば、「成長したい」ということは人や社会が変化していくためには必要な欲求です。成長したいという気持ちがあるからこそ、社会でも様々な新しいテクノロジーや文化が生まれているのではないでしょうか。
また「食べたい」「寝たい」という動物的な欲求は、人間の生命を維持するために必要不可欠なものです。もしこの欲求がなければ、食事もしないことになり生命を維持することができません。
よって、煩悩や本能は決して悪いものではないと言えます。
悪いと言われる理由は、煩悩に振り回されてしまうことがあるからでしょう。
煩悩にしても本能にしても“欲求に固執しすぎると良くない”ということです。
“欲求に固執しすぎると良くない”といいましたが、自分も時々、固執しすぎてしまうことがあります。
自分の場合、「良く見られたい」という欲求から、頼まれごとをたくさん引き受けすぎてキャパオーバーになるという経験をしたことがあります。
欲求に固執しすぎると良くない、つまり自分の中で「折り合いをつける」ことが大事でしょう。
欲求に固執しすぎると、視野がせまくなったり、衝動的になってしまうでしょう。
「新しい服や靴が欲しい」という欲求は、何かに頑張るモチベーションになったり、ストレス解消法の一つになります。しかし、固執しすぎると、買い物中毒のような状態に陥る危険性も考えられます。
「子どもが愛おしい」という気持ちは本来良いものですが、固執しすぎると、モンスターペアレントのようになってしまいます。
おわりに
育った環境や現在置かれている環境によって、人それぞれで欲求の種類やその大小は変わってきます。
一つ一つの欲求に対してどこで折り合いをつけるのか、どれくらい重要視するのかを、広い視野で考えることが大事です。
「美味しいものが食べたい」→お金と相談。
「仕事して褒められたい」「ゆっくりしたい」→体の疲労度や時間と相談。
「欲求」と「資本」(お金・身体・時間など)と相談するというのが一つの見方かもしれません。
「欲求に折り合いをつける」というのは、コロナの影響でリモート化が進み注目されるようになった”セルフマネジメント力(自己管理能力)”にもつながる考え方だと思います。
皆さんも、自分の欲求と向き合ってみてはどうでしょうか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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