書籍『チャップリンとヒトラー』喜劇王と独裁者から学ぶ戦争と平和

どうも神社で奉仕をしていたフルザワです。
今回はその容姿が似ている事でも有名なチャップリンとヒトラーの意外な関係性について紹介していきます。
目次
1.喜劇王と独裁者の共通点
2.双方の境遇と才能の開花
3.映画『独裁者』感動の演説シーン
4.チャップリンの追放と再評価
ヒゲが特徴的で見間違いそうになる2人ですが、生まれた年も1889年であり、生まれた日はなんと4日違いという共通点もあるのです。
その他にも喜劇王と独裁者という真逆の立場である事から、対照的な2人として当時も世界に影響を与えていました。
書籍『チャップリンとヒトラー』を参考に双方の生い立ちから、あまり知られていない2人の関係性についてまとめていきます。(→書籍『チャップリンとヒトラー』はこちらから)
1.喜劇王と独裁者の共通点
今回取り上げるのは喜劇王チャップリンと独裁者ヒトラーでありますが、その共通点についてはご存知でしょうか?
容姿のヒゲはもちろんなのですが、2人が有名になったきっかけとして映画の登場がその要因でした。
チャップリンと言えば、白黒の映画に出て来る喜劇役者の印象が強いかと思います。
ヒトラーと言えば、演説が得意であった事で有名ですが、その思想を多くの人に訴えかける為にヒトラーの演説を映画化したのです。
しかし、チャップリンのチャリーというコミカルなキャラクターとヒトラーの容姿が似ていることから、ドイツではチャップリンの映画が禁止されていたそうです。
なぜなら、ヒトラーの総統という威厳あるイメージが崩れてしまうからです。
双方共に自身の表現力を多くの人に届けることにより、大衆に大きな影響を与えるのでした。
2.双方の境遇と才能の開花
では、その2人の生い立ちはどうだったのでしょうか?
チャップリンはというと、貧困家庭に生まれ若くして両親の離婚と父の死を経験しています。
両親共に舞台の芸人であったことから、5歳という若さで舞台に立ち、すぐにその才能を開花させ、活動の幅をイギリスからアメリカに急速に拡大させていきます。
反対にヒトラーはというと、中流家庭の役人の家庭で誕生します。
アーティストや兵士として活動するも、全く目が出ない青年時代を過ごしていました。
そんなヒトラーを変えたのが演説力でした。
第一次世界大戦で敗戦したドイツは困窮しており、そんなドイツを奮い立たせたのがヒトラーの演説でした。
過激な思想により一時逮捕されるも、獄中で書いた『わが闘争』は益々人々の心を掴むのでした。
3.映画『独裁者』感動の演説シーン
チャップリンは世界的映画スターとなり、ヒトラーはドイツの総統としてその頭角を現にしました。
知名度も上がり、その容姿が似ている事からもお互いにその活動を無視することはできませんでした。
ヒトラーとしては総統としての威厳を保つ為に、チャップリンはユダヤ人であると批判する事もありました。
しかし、チャップリンはイギリス人である為、ユーモア溢れる返答でユダヤ人を援護します。
(チャップリンの返答「私はユダヤ人じゃないよ。でも私の中のどこかにユダヤ人の血が混じっているんじゃないか、とこれは希望なんだが、そう思いたいね」)
ヒトラーの過激ぶりに危機感を覚えたチャップリンは、戦争を批判する映画を制作するのでした。
チャップリンが渾身を込めて制作した映画『独裁者』はヒトラーを模して、戦争を完全に批判するものでした。
第二次世界大戦前から制作が始まり、ユダヤ人の迫害を予知していたとも言えるシーンもあります。
詳しい内容は割愛させて頂きますが、笑いによるコメディーと感動を生む演説シーンは心打たれる戦争の無意味さを思い知らされる映画です。
ラストのシーンはヒトラーがパリを占領した翌日に撮影され、チャップリンのアドリブで撮られたと言われています。
YouTubeにも演説の動画が挙がっているので、気になった方はぜひご覧ください。(→映画『独裁者』演説シーンはこちらから)
4.チャップリンの追放と再評価
第二次世界大戦でヒトラーはこの世を去りますが、チャップリンはアメリカとソ連の冷戦に巻き込まれることになります。
戦争を批判した映画に続き、愛国心は戦争に繋がる狂気であると述べた事により、ハリウッドから追放されることになります。
それから20年の時を経て、ベトナム戦争などの戦争の悲惨さがアメリカ全土に広がり、チャップリンを追放はアメリカの恥であると言う声からハリウッドに復帰します。
それ以降映画『独裁者』は世界で再評価され、ドイツや日本でも上映される事となりました。
現在でも愛国心を煽り、不安に駆り立てられた国民を戦争に導く様な権力者は存在しています。
それは権力者が都合良く作った嘘であるとチャップリンが唱えた様に、私達に戦争の虚しさを気付かせてくれます。
喜劇王と独裁者の出来事は世界を平和に導く歴史として、今後も忘れてはいけない世界の教訓であると言えるでしょう。
ではまた。
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