どうなる?東京オリンピック?改めて考えるべきオリンピックの理念と目的

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どうなる?東京オリンピック?改めて考えるべきオリンピックの理念と目的

こんにちは!コタローです!!

先日、「アンブロークン 不屈の男」(2014)という映画を観ました。

この映画は、東京オリンピック出場を目指すも、戦争に駆り出された実在のアメリカ人オリンピアンを描いた作品です。

本作に影響を受けまして!今回は「東京オリンピック」について調べました!!

東京オリンピックは本来、1940年に開催されるはずだったということを皆さまご存じだったでしょうか?

 

世界最高のスポーツの祭典。それを学ぶことは、万国共通の教養を身に付けることになる!と言えるでしょう!

オリンピックがどんな意味を持ち、どんな使命を持っているのか。改めて考えてみましょう!!

 

目次
1.オリンピックとは?
2.1940-幻の東京オリンピック
3.東京オリンピック(1964)が遺したもの
4.まとめ
5.参考文献

 

【1.オリンピックとは?】

オリンピックの誕生

 

近代オリンピックの提唱者は、フランスの教育学者、ピエール・ド・クーベルタン男爵です。

 

競技大会(オリンピアード競技大会)としての最初のオリンピックは、1896年、ギリシャのアテネで開催されました。

その2年前の1894年6月23日、パリにてスポーツ競技者連合の会議―パリ国際アスレチック・コングレスーが開催され、近代オリンピックの開催(4年に1度の開催)、IOC(国際オリンピック委員会)の設立が決定しました。

(この日が、「国際オリンピックデー」となっています)

教育学に強い関心を持っていたクーベルタンは、イギリスやアメリカなど多くの国を視察しました。その中で、イギリスの学生たちが積極的かつ紳士的にスポーツを行う姿に強い感銘を受けました。「服従を旨として知識を詰め込むことに偏っていたフランスの教育では、このような青少年は育たない。即刻、スポーツを取り入れた教育改革を推進する必要がある」と確信を持ち、スポーツを取り入れた教育改革の構想を考え付きます。

そして、全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭だった「オリンピア競技祭典」に興味を持ったクーベルタン男爵は、スポーツ教育の理想の形として「古代オリンピックの近代における復活」を思い描くようになりました。

 

オリンピックの意味

 

クーベルタンは、オリンピズムというオリンピックのあるべき姿を提唱しました。

「オリンピック憲章」(2020年版)には、下記のように様々な原則が示されています。

「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」

・努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする

・オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること

・スポーツをすることは人権の1つである

・オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、 政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分など の理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない

 

性別、宗教、政治など、様々な立場の違いを超えて、スポーツを通して人々を結び付ける。それがオリンピックに込められた普遍の願いなのです。

 

2.1940-幻の東京オリンピック

 

平和への強い願いが込められたオリンピックですが、3度中止になったことがあります。

1916年のベルリン。1944年のロンドン。そして、1940年の東京です。

 

そう、本来であれば、1940年が、日本で初めてオリンピックが開催される年となるはずだったのです。

 

この東京大会が中止となった背景には、戦争がありました。

 

1940年は紀元2600年(神武天皇が即位して2600年)に当たる記念すべき年で、国家的祝祭を計画していましたが、1937年には日中戦争が勃発。オリンピックの開催が近づくにもかかわらず軍部の発言力はますます強まり、ついに1938年7月15日の閣議で「東京オリンピック大会の開催は中止されたし」との勧告を出ました。

オリンピック選手としての活躍が期待された若者たちも、戦場へ駆り出され、命を落としました。

『幻のオリンピック 戦争とアスリートの知られざる闘い』を記したNHK取材班の調査では、少なくとも37人の戦没オリンピアンー戦争で命を落としたオリンピック選手ーの存在が判明しました。

(参考としての比較ですが、1964年の東京オリンピックでは355人の選手が参加していました。割合にすると、10人に1人以上の割合で命を落としたことになります)

それだけでなく、彼らの死は軍隊やメディアによって戦意昂揚のために利用されました。

(お墓に陸軍大将の言葉を刻まれた戦没オリンピアンもいました)

 

古代オリンピックでは、「エケケイリア」という休戦協定が遵守されていました。隣国同士で戦争や紛争をしていても、オリンピックの最中は休戦していたのです(この概念は1994年大会以降に「オリンピック休戦」として受け継がれています)

そうした平和への願いも、戦争は破壊したのです…

 

 

3.東京オリンピック(1964)が遺したもの

パラリンピック

 

 

パラリンピックのきっかけは、第2次世界大戦後、イギリスにて障がい者の治療にスポーツが取り入れられたことだったのですが、

「パラリンピック」という言葉が初めて用いられたのが、1964年の東京大会でした。

(大会として初めて行われたのは1960年のローマ大会)

車いす使用者を対象としたものと車いす以外の障がい者と西ドイツからの招待選手を対象とした2部構成での大会が行われました。

 

ピクトグラム

 

 

 ピクトグラムとは、何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号の一つで、一般的には絵文字、絵単語と呼ばれています。1920年頃オーストリアの社会・経済学者、オットー・ノイラートが生み出したアイソタイプを基に、言葉が分からなくても使わる絵による表現方法として編み出されました。

公共交通機関などでの外国語の案内表示やアナウンスが当たり前になった現在とは違い、外国人を想定した用意はほとんどなかった当時の日本において、言葉がわからなくても伝わる表示として着目されました。

11人のデザイナーによってトイレや食堂など39種類のピクトグラムが完成しましたが、「社会に還元すべき」と著作権を持たなかったため、便利なピクトグラムは東京オリンピックをきっかけに世界中に発信されたのです

 

4.まとめ

オリンピックの理念や世界に与えた影響について調べましたが、参考になりましたでしょうか?

オリンピックに込められている願いは、人種、言葉、宗教、政治など、立場を超えた全ての人たちとの「つながり」が生まれ、それが未来まで続いていくことです。

「スポーツは何かに利用されるべきではない」

この言葉は、2008年の北京オリンピックで銀メダルを獲得した陸上短距離選手、朝原宣治さんが戦没オリンピアンの墓を訪れたときに述べた言葉です。

1940年の東京大会は、「皇紀2600年記念と国威発揚」。64年大会は「戦後からの復興」。

そして、2020年大会では「東日本大震災からの復興」に加え、「コロナ危機の克服」という新たなスローガンが掲げられました。

オリンピックには、それぞれの時代の思惑、国家の威信が付きまとってきました。

もちろん、スポーツを通してどんなメッセージ、希望を残していくか、というのは大切な姿勢です。

しかしながら、アスリートへの敬意や尊重が薄らいでいる印象が否めないのです。

新型コロナウイルス感染症は、今なお世界中に大きな苦難をもたらしています。

アメリカやとロシアなどでワクチン接種も始まっていますが、安全性は保障されていません。

アスリートが心おきなくはつらつとプレーする環境、観客が安全に観戦する環境は整っていません。

実際、国際オリンピック委員会(IOC)最古参のディック・パウンド委員は、開催できるかは不透明だとの見解を示しています(2021/1/8 ヤフーニュースより)

一方で、、森喜朗 東京2020組織委員会会長は今月13日に職員に向けた2021年の年頭挨拶にて、開催を実現していく意思を改めて示しています(https://tokyo2020.org/ja/news/news-20210114-02-ja)

コロナウイルス感染症の猛威が終息する見込みがないなかでオリンピックを開催することは、はたして「平和でよりよい世界の実現に貢献」するのでしょうか?

スポーツ、オリンピックに込められた願い。本質。

この記事を読んてくださった皆様がそのことを忘れないでいてもらえたら幸いです。

5.参考文献

NHKスペシャル取材班(2020)『幻のオリンピック 戦争とアスリートの知られざる闘い』

オリンピックの歴史

武田薫(2008)『オリンピック全大会 人の時代と夢の物語』

ピクトグラム(ピクトサイン)の歴史と日本のおもてなしの心」

「オリンピックは日本を変えるの?1964年東京オリンピックが遺した“レガシー”」

 

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