【課題解決力】ビジネスパーソンなら知っておきたい自動車産業の革命【ヘンリー・フォード】

キャリア

一流のビジネスパーソンは歴史から学んでいる

今回は自動車王ヘンリー・フォードが起こした変革から課題をどのように解決したのかについてご紹介します。彼は産業に立ちはだかる壁や解決できなかった問題を乗り越え、歴史に名を残した偉人です。

「ビジネスパーソンは歴史を学ぶべきである」と言われています。例えばソフトバンクグループの孫正義氏は幕末の土佐藩士「坂本龍馬」、ファーストリテイリングの柳井正氏は14年半連続増益記録を持つアメリカの実業家「ハロルド・ジェニーン」、エステーの鈴木喬氏は君主論で有名な「マキャベリ」、といったようにそれぞれ自伝や歴史書を愛読書にしていたといいます。

歴史から学ぶことで「自分の視野を広げつつ、日々の業務外にある新たな価値観に触れる」ことができます。一流のビジネスパーソンは過去の事例をもとに、自らの知見を広げ蓄えつつ事業へ活用しているのです。

もしかすると興味のなかった世界には、あなたの悩みを解決する糸口があるかもしれません。一流のビジネスパーソンと同じく歴史から学んでみたくはありませんか?

そこで今回紹介するのは自動車メーカーとして名高い「フォード社」の創業者である自動車王ヘンリー・フォードです。かつてガソリン自動車の礎を築いたヘンリーは、現在の自動車産業を形作っていっただけでなく、社会構造も変えてしまいました

しかもその事業は最初から順風満帆であったわけではありません。幾度となく問題や課題を乗り越え、逆境を克服しながら自動車産業に革命を起こしたのです。

歴史は繰り返すもの。社会の大きな変革は知識としてだけでなく、変化の激しい時代を生きるヒントになるかもしれません。ぜひ過去の出来事から学んで仕事へ活かしてみましょう。

【課題1】事業を阻む投資家との衝突を解決

自動車王ヘンリー・フォード。彼の名を聞いたことがある人は少なくないでしょう。「王」の名前は伊達ではなく、文字通り自動車産業のトップに君臨した人物です。

叩き上げの技術者であったヘンリーは早くからガソリン車の開発を自宅で行い、その試作機が完成する頃にはすでに多くの支援者が集まりだします。

ちなみに技術者であった彼が働いていたのは、なんとあの「エジソン電気会社」。つまり自動車王は世紀の発明家の部下として働いていたのです。そんな2人はプライベートでも親交を深め、エジソンはヘンリーの開発したガソリン車に太鼓判を押します。

その後ヘンリーは自動車会社を立ち上げるのですが…はじめからうまくは行きませんでした。

ヘンリーが現在のフォード・モーター・カンパニーを立ち上げたのは1903年のこと。しかしそれまでに、ヘンリーは2度の起業を失敗しています。しかも失敗した要因全てが投資家たちとの意見の相違です。

当時自動車というのは高級品で、とても庶民が買える代物ではありませんでした。そんな車を庶民に行き渡らせることがヘンリーの理念だったのですが、これに投資家たちが猛反発。彼らは高い車を富裕層へ売りさばき、短期間で利益を上げることを望んでいました。

理念の不一致でヘンリーは2度の倒産を経験したのち、3度目の正直といわんばかりに現在の「フォード・モーター・カンパニー」を設立。もちろん3度目も資本家との対立が生まれてしまいます。

ところが2度の失敗から学んだヘンリーは用意周到でした。対立に嫌気が差した彼は事業の利益を用いて株式の大半を取得することに成功し、ワンマン経営でようやく自分の理念をビジネスへ反映させることができるようになったのです。

今でこそ大企業であるフォード社も、はじめから順風満帆ではなかったのです。失敗から学び、ようやくスタートラインに辿り着くことができました。しかも現在のフォード社を立ち上げたのち、ヘンリーは自動車業界のみならず社会構造を変革してしまったのです。

【課題2】自動車産業における生産コスト高騰を解決

ヘンリー・フォードによってワンマン経営の始まったフォード社が開発した「フォード・モデルT」は、19年にわたり1500万7033台が生産された歴史に名を残す車です。この車が生産されると同時にフォードでは新たな技術が開発され、職人による手作業でなおかつ時間のかかっていた車の製造が一気に変革してしまいます。ヘンリーは自動車産業の構造自体を変えてしまったのです。

自動車の生産で課題となっていた生産コスト・販売価格の高騰が、フォード・モデルTの登場で一挙に解決してしまいました。それではどんな変革が行われたのか見ていきましょう。

・パーツに互換性を持たせ流れ作業化した

それまで職人の手で部品から作られていた自動車でしたが、ヘンリーはパーツを規格化してどの車両にも使えるようにすることを思いつきます。パーツに互換性が生まれたおかげで生産効率がアップし、自動車を流れ作業で作ることができるようになりました。

それまで一台の車を作るのに数人で数日間を要していましたが、部品の互換性により一日に数十台も作れるようになったといいます。

・ベルトコンベアを世界で初めて導入し分業化した

ヘンリーは部品の互換性に加えて、その後工場にベルトコンベアを導入します。ベルトコンベア式の自動車組み立てラインは現代まで生き続ける生産方法ですが、まさに革新的な発明でした。必要な技術を分業化して一つ一つを単純にし、誰でも組み立てができるようにしたのです。

生産効率は更に加速し、なんと2時間40分で一台完成させることができるようになってしまいました。ベルトコンベアの登場で短時間の大量生産が可能となりコストが下がった結果、販売価格も低下し、車が庶民の手に届くようになったのです。

こうしてフォード社は職人による自動車づくりを工場ラインによって単純労働化し、車体価格を引き下げたことで自動車の大衆化に成功しました。これは後に「フォーディズム」と呼ばれることになります。大衆化の壁となっていた販売価格を、大幅なコストダウンによって実現したのです。

しかし変革によって多くの利益がもたらされる中で、問題も発生していました。

【課題3】産業変革による犠牲や問題を解決

(Henry Ford、1863年7月30日 – 1947年4月7日)

変革に犠牲はつきものですが、ヘンリーの自動車産業に起こした大量生産革命は、労働者への負担を強いるものでした。

実際のところフォード社は離職者が多発し、その単純ながら長時間となる労働作業に対し批判的な意見も寄せられていたのです。現在でもベルトコンベアによるライン工は、言うなれば「きつい仕事」として知られており、軽作業ながら身体への負担が大きい業務が少なくありません。

離職者が多くなった場合、例えば賃金の引き上げなどによって離職を防ぐ企業があります。しかしそれは生産コストが増える原因となり、それは販売価格へ転嫁されていきます。

さて自動車王ヘンリーはどうしたかというと、賃金を上げつつ価格を据え置きました。会社としては苦しい判断でしたが、彼の「車を大衆の移動手段に」という理念を守るため、販売価格を据え置いたのです。賃金はそれまでの2倍に引き上げたにもかかわらず、ヘンリーは販売価格の値上げを行いませんでした。

叩き上げの技術者であるヘンリーは価格に転嫁するよりも、積極的に生産コストを見直し削減を図ることで結果的に賃金上昇分を吸収してしまったとのこと。

現代でも賃金と価格に対しては厳しい経営判断が下されますが、今でもヘンリーが自動車王と呼ばれるのは、こうした労働者を手厚く歓迎する経営姿勢にも表れているといいます。

課題を解決し企業・労働者・社会を豊かにした自動車王から学ぼう

ヘンリー・フォードは労働者を大切にしました。彼が技術者出身であったこともその要因ですが、ヘンリーには「産業の発展が人々に自由をもたらし、企業の成長とともに労働者も豊かになる。」という理念があったのです。

「小型・丈夫・シンプルな自動車を安価につくり、その製造に高賃金を支払おう」というのがヘンリーのモットー。賃金が上がり裕福になった労働者はやがて消費者としても経済を支える存在になります。

その後フォード社では一日の労働時間を8時間に短縮し週5日制を導入。これは全米へ影響を与えることになりました。現在、同じような労働環境で働いているという方も少なくないでしょう。ヘンリーは自動車産業を変え、そして社会構造まで変えてしまったのです。

様々な課題や壁を乗り越えて功績を残したヘンリー・フォードのビジネスから、目先の利益だけでない長期的視点の大切さが伺えます。あなたもぜひ自動車王に限らず歴史から学んで、今後の事業の参考にしてみてください。

 

参照:
moby
世界史の窓
universe

yuya

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複数メディアでの記事執筆やYouTuberの原稿作成など、掛け持ちでライターをしています。本職は物流。ピアノ・ギターが趣味でセッションにも参加中。気になった...

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