【日本文学】書籍『すらすら読める方丈記』鴨長明から学ぶ人生哲学(要約・まとめ)

方丈記
キャリア

どうもミニマリストのフルザワです。

皆さんは日本三代随筆の『方丈記』を書いた鴨長明はご存知でしょうか?

簡単に紹介すると、1000年前の京都で5度の大災害を経験し、ミニマリストとして人生の楽しみ方を説いた人です。

現代では感染症が蔓延し、人生について考えさせられる機会もあったと思います。

そこで今回は書籍『すらすら読める方丈記』を参考に、挫折を乗り越えて人生を楽しんだ鴨長明の人生哲学について紹介していきます。(→書籍『すらすら読める方丈記』はこちらから)

 ー目次ー
  1.貴族からの転落と五大災害
  2.芸術の才能が開花するも…
  3.出世でも出家でもない数寄の人
  4.まとめ〜好きなように生きる〜

『方丈記』について知らない方も『平家物語』であれば、一度は聞いたことがあるはずです。

しかし、その中の一部は臨場感をリアルに表現している『方丈記』を真似て書かれてると言われているのです。

1000年も前の話ですが、現代にも通じる人が生きていく上で大切なことが書かれてるので、ぜひ最後までご覧頂ければと思います。

では早速、鴨長明の人生について深掘りしていきましょう。

1.貴族からの転落と五大災害

鴨長明は京都でも有名な下鴨神社の跡取り息子として誕生します。

幼い時から貴族として生活していたのですが、父の死をきっかけにその権力は衰退し、21歳のとき後継者争いに負けてしまいます。

そんな時にまず一つ目の大災害に見舞われます。

火事

五大災害
 ①安元の大火(23歳)
 ②治承の辻風(26歳)
 ③福原遷都(26歳)
 ④養和の大飢饉(27歳)
 ⑤元酒の大地震(31歳)

①安元の大火(23歳)

街中で起きた火事は都の3分の1を焼き尽くすほどの大火事となり、数多くの貴族の邸宅が焼失しました。

これを機に長明は家が大きいことに対しての必要性に疑問を抱き始めます。

②治承の辻風(26歳)

安元の大火から3年後に、次は家を吹き飛ばすほどの台風がやってきます。

当時は木造住宅のため、屋根も突風で剥がれ飛ぶほどだったと言います。

またこの治承の辻風は『平家物語』にほぼ同じ表現で引用されています。

③福原遷都(26歳)

同年に天皇を従えた平清盛の意向により、平安京から福原京への遷都が行われます。

貴族たちの立派な邸宅も次々に取り壊され、福原でまた新たな家を建設していきます。

しかし、結局福原遷都は失敗に終わり、再び平安京へ都を戻すのでした。

④養和の大飢饉(27歳)

更にその翌年には大飢饉が都を襲います。

食糧不足により餓死する者も続出し、貴族と農家の立場は逆転したと言います。

⑤元酒の大地震(31歳)

五大災害の最後には、元酒の大地震に合います。

長明は30歳の時に家を追い出され、これまでの10分の1程度の家に越したばかりでした。

そんな最中に大地震に遭ってしまうのです。

たった10年の間に死と隣り合わせの五大災害を経験した長明は世の中の無情を悟るのでした。

2.芸術の才能が開花するも…

時は流れ47歳になった長明は、得意の芸術センスでその才能を開花させます。

鴨長明

それまで日の目を浴びてこなかった長明は芸術の才能を存分に発揮し、時の権力者である後鳥羽上皇に気に入られました。

更には下鴨神社の役職ある地位に復帰するように推薦されるのでした。

しかし、以前後継者争いをした者達は長明の復帰に猛反対します。

なぜなら、長明は芸術の才能はあるものの、後継者争いに敗北してからは、下鴨神社との直接的な関わりがなかったからです。

その結果、長明は下鴨神社に復帰することはなく、出家の道を選択するのでした。

これを河合社事件と言い、貴族に返り咲くことに最後の希望抱いていた長明は大きく落胆します。

この時すでに長明は50歳であり、最後の余生は自分のしたいことに没頭するために我が道を歩むことに決めるのでした。

3.出世でも出家でもない数寄の人

出家をした長明は京都の山奥で究極の住居「方丈の庵」で生活を始めます。

鴨長明

「方丈の庵」とは、長明が『方丈記』の執筆をしたと言われている3m四方の組み立て式住居です。

多くの災害を経験した長明はいつ何が起きても対応できるように、移動ができる最低限の住居に住むことにしたのです。

持ち物は琵琶と琴、食事は山菜などの質素なもので、現代で言うミニマリスト的な生活を送るのでした。

長明は出家したとは言え、自分のしたいことを諦めていた訳ではないのです。

むしろ、誰にも邪魔されずに自分のしたいことに没頭するために山奥で最低限の生活を始めたと言っても過言ではありません。

なぜなら、気持ちが乗らなければ念仏を唱えず、自分の趣味である楽器や和歌、文学に没頭し、仏教では否定される煩悩を肯定するのでした。

この必要最低限の暮らしからは想像のつかない生活の充実ぶりを『方丈記』に書き残しています。(→『方丈記』現代語訳はこちらから)

方丈記

長明は「数寄の人」(=芸道や風流に心寄せる人)と呼ばれ、好きなことにとにかく没頭するのが一番楽しいことであり、それこそが人生だと悟るのです。

貴族に返り咲き出世を目指す訳ではなく、出家をして仏教を極める訳でもありませんでした。

長明は自身の経験から、独自の哲学に沿って残りの人生を歩むことを決めたのです。

鴨長明にとって出世も出家も気にしない生き方が、人生で一番快適な暮らしだったことが『方丈記』には書き残されていると言う訳です。

4.まとめ〜好きなように生きる〜

鴨長明の人生から学ぶ人生哲学はいかがでしたでしょうか?(→書籍『すらすら読める方丈記』はこちらから)

鴨長明

20代のほとんどは大災害に見舞われ、貴族に返り咲くこともなく生涯を終えた長明ですが、出家後の充実ぶりからは幸せとはなんなのか考えさせられます。

出世をしなくてはいけない訳でもなく、出家をしなくてはいけない訳でもありません。

自分が一番ベストだと思う生き方を選択すれば良いのです。

ストレス社会から離脱し、自然に身を寄せながら自分のために生きる人生も悪くないなと思わされます。

長明から学ぶ人生哲学とは、好きなように生きるだけでなく、生きていれば楽しいことが見つかることだと言えます。

人生に絶望したり、挫折をしたとしても、命がある限り、再び人生を楽しむことができるのです。

どんな災害に遭ったとしても、どんな人に裏切られたとしても、強く生きて人生を謳歌した鴨長明からは生きることの意味を学ぶことができるのではないでしょうか?

人やお金のために生きることも大切ですが、自分の人生を生きることを忘れないでいたいものです。

ではまた。

furuzawa

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F.CHINと呼ばれている男。本や映画、様々な経験から学んだことをわかりやすく紹介していきます。AppleMusicでプレイリストを作るのにハマってます。

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